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居候生活

社会人生活はほぼ首都圏で派遣社員で働いていた。年齢とともに満員電車や街の人の多さがしんどいと感じるようになり、どこか引っ越そうかと思ってもどこに住みたいのか全く思いつかず…そんな時に実家に戻るという選択肢が出てきた。

20代の頃、父の闘病時に何もできなかったことに未だ後悔があり、母にサポートが必要となった時には近くで手助けしたいという思いもあった…母のためというより自分が後悔しないように…

当初から母と弟夫婦と一緒に暮らすのは難しいだろうと思いながらも6年前に実家へ戻ることにした(昔から本当に合わない)。なんとかだましだましやっていたけれど、3年前に弟夫婦が実家を建て直してくれることとなり名義が弟に変わった頃から、弟夫婦の意見に従わなければならないことが増えて苦痛となってきた。それは当然のことだと思いつつ、できるだけ関わらない、顔を合わせないようにと週末は近場に外泊することが増えていった。

イライラしないよう自己防衛のため…週末に家にいることが苦痛だった

とはいえ、外泊したところで根本的な問題が解決していないから何の意味もない。家に帰るとあっという間にイライラが復活、さらに出費がかさんでいくというマイナスだらけ。『もう家を出ないとダメだ』と地元での部屋探しを本格的に始めていた。もう顔を合わすこと自体が苦痛で精神的にもおかしくなりそうだった。

住まわせてもらっていることには感謝している。逆の立場だったらとても嫌だったと思う…。名義変更をした時点で私は出ていくべきだった(私は最近よく聞く子供部屋おばさんだったのだろうか?)

もともと実家からスープの冷めない距離で一人暮らしをしようと考えていたが、地方価格のお給料に対して家賃相場が高かったため一人暮らしは見送っていた…地方で必須の車を所持することも考えていなかった。仕事も公共交通機関で行けていたので困ることはなかった。

仕事は年間契約で働いていて、来年度も継続のつもりで話は進んでいたために地元での一人暮らしを検討していたけれど、プロジェクトの予算都合で継続ができなくなってしまった。

3月に入っての急展開…

色々としくじりだらけの人生だけれど、実家からなるべく早く出ていきたいと思ったタイミングで失業するという事態に陥り、今後の仕事を何とかしなければならない。でも今気力が湧いてこない。どこで何をしてもいい立場なのに贅沢だ、と思いながら。

長年非正規雇用で働いてきたけれど、継続の希望を出して契約終了となる展開ははじめて

母の手助けという思いもあり居候生活を続けていたけれど、母は彼らと暮らしていくわけだから彼らに任せる形として、いざとなった時に私はできることをすればいいのではないかと、自分第一優先とさせてもらおうと決めた。

地元には愛着はない、仕事の縛りもなくなった今、どこに行ってもいい

書きぶりが暗いけれど、なぜかお先真っ暗とは思っていない。実家に住み続けることと仕事の縛りが一気になくなることになった。おひとりさま自由人がさらに自由になった。他人からみたらこの状況がとんでもなくひどい状況に見えるのかもしれないし、それが現実かもしれない。けれどそうなってしまったからには何とかしたい。居候生活からの脱却のために…

飛行機が好き🛫

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